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失踪

ニューデリー駅前のパハルガンジ地区は、外国人旅行者達が集まる安宿街として有名である。当時・・・と言っても僕がインド放浪をしていた時のことであるから、もう10年近く前の話であるが・・・この地区で往年の日本人バックパーカー達の溜まり場と化していた安宿は、パハルガンジの野菜市場から少し歩いたところにあるUゲストハウスであった。Uゲストハウスは、個室と共同大部屋からなる小規模の簡易宿舎である。

ドミトリーと言われる共同大部屋には、ぼろぼろのマットが敷かれた朽ちかけた木製ベッドが所狭しといくつも置かれていた。窓一つ無い部屋は薄暗い上に風通しも悪く、しかも、雨季になると穴だらけの天井から部屋のあちこちに雨水が滴り落ちた。部屋にはトイレが併設されていたが、中に入るだけで気分が落ち込むくらい狭苦しく、しかも薄汚れていた。トイレの入り口付近には大きな机が無造作に置かれており、その上には旅人達が書き留めた数冊の情報ノートが放置されていた。無数の旅人達の手垢で汚れた表紙をめくると、アジアを放浪する者達にとって極めて有用と思われる多くの情報が隙間無くびっしりと書き込まれていた。それらは、中央アジア諸国のビザ取得方法といったマイナーな記事や、近場のおいしい料理屋までの行き方が書かれた手書きの地図、またはデリーでの国際学生証の取り方などという裏技など、ガイドブック顔負けの極めて詳細で広範囲な情報であった。しかし、ノートには、それら旅情報に混じって旅人達のパスポートサイズ写真つきの自己紹介なども記されていた。僕が今でもはっきりと覚えているのは、40歳くらいの男性の自己紹介文である。長髪と髭、そしてギラギラと輝いた目を持つその中年男性の白黒写真の下には、「人生は戦いである・・・」という始まりとともに彼独自の人生観が力強い書体で書き込まれていた。

そのような宿であったが、大部屋のおどろおどろしい雰囲気と情報ノートに惹きつけられて、多くの日本人バックパッカー達が宿泊するために訪れていた。

これから語るのは、当時、その大部屋に長期滞在していた谷本さんから聞いた話である。谷本さんは50歳前後のヒッピー出身の男性であった。彼は後ろで長髪を綺麗に束ねており、いつも上半身裸で下には腰巻を巻いている一風変った風貌の持ち主であったが、非常に話し好きで愛嬌のあるおじさんでもあった。夕方になると、彼から何か興味深い話を聞こうと、何人もの若い旅人達が谷本さんのベッドを囲んで座っている様子をよく見かけたものだ。そして、僕もその団欒に混じって彼とインドについてよく議論したりもした。

ちょうどその頃、大部屋の壁にインドで行方不明になった日本人男性の写真が貼られていた。或る日の夕方、僕と同じ年頃の長期旅行者である萩田君が、その写真を見ながら、谷本さんにこういうことを尋ねた。

「谷本さん、インドでは毎年多くの日本人が行方不明になると言われていますが、その中には誘拐や殺人だけではなくて、自分で消えていく人たちも含まれていると自分は思うんですよね。実際はどうなんですか?そういう風に自分で失踪したりする人達はいるのですかね?もし、いるとしたらどこに隠れているのですか?」

それに対して、谷本さんは、わからないと答えつつも、ずいぶん昔友人から聞いた話でこういう事件があったと前置きをしながら、ある奇妙な話を僕達に聞かせてくれた。
以下は、その時、谷本さんが語った話である。


20年程前、バラナシのガンジス河沿いにあるアッシーガート地区に、谷本さんの友人であるR君という日本人青年が奥さんとともに住んでいた。その頃、R君は、グルジー(師匠)についてタブラを習っており、奥さんもインド舞踏を学んでいた。当時、夫妻が下宿していた長屋はガートと言われる沐浴場のすぐそばにあり、そこからはガンジス河とガートが一望できたらしい。長屋には夫妻の他にも数人の外国人達が居住していた。夫妻の隣の部屋にも1人のドイツ人青年が下宿しており、特に彼らと懇意にしていた。ドイツ人の名は・・・ここでは敢えてアドルフという仮名を使うことにしよう。アドルフもR君夫妻同様にバラナシで楽器習得のために師匠のもとに通っていた。インド歴の長い彼は、当然のことながらヒンディー語もかなり堪能だったらしい。

ヒンディー語ペラペラで、インド慣れしているドイツ人・・・。しかし彼は、或る日を境に忽然と皆の前から姿を消してしまった。下宿の女将さんによると、その日の夕方、ちょっとガートを散歩してくると言い残したまま、それきり彼は2度と戻ってこなかったらしい。当然のことながら、外国人が失踪したことでバラナシ中が大騒ぎになった。その頃は、まだそういう事件も珍しかったようだ。ドイツ大使館からの圧力もあり、警察も重い腰を上げて本格的な捜査に乗り出した。しかし警察の懸命の捜査にもかかわらず、遂にアドルフは発見されることはなかった。結局、彼は亡くなったということになり、しばらくして、ドイツ本国から家族も訪印した。そして、大家やR君夫妻立ち合いのもと、家族により部屋の荷物も処分されて、そのうちのいくつかは形見として本国に持っていかれたそうだ。

しかし、話はこれで終わりではなった。失踪事件から半年後のある日、再び異変がこの長屋で起きた。その日の昼過ぎ、R君は自室でタブラの練習をしていた。奥さんも昼食の支度をしていたらしい。すると突然、外から叫び声が聞こえてきた。

「助けて!お化けが出た!!」

びっくりして夫妻が部屋から飛び出すと、下宿の女将さんが河沿いの沐浴上の方を指差しながら髪を振り乱してめちゃくちゃにわめき騒いでいるではないか。今にも卒倒しそうな勢いである。2人が沐浴上の方を見ると、失踪して亡くなったはずのアドルフが乞食のようなボロを纏って向こうから歩いてくる様子が見えた。当然の事ながら夫妻も恐怖で硬直してしまった。遠目ではっきりとは見えないが、なにやら非常に不機嫌な顔をしながらこちらに歩いてくるようだ。数分後、長屋に辿り着いたアドルフは半年前に失踪した時に比べてかなりやつれ果てた姿と成り果てていた。真近でアドルフを見て、やっと我に返ったR君が、

「何処に行っていたんだ!?」

と詰問すると、彼はかなり不機嫌な口調で、

「やられた。」

と一言だけ返事をした。そして、半年前に自分に起きた事件の顛末を語り始めた。

失踪した日の夕方、彼は、ガンジス河沿いを一人で散歩していた。しかし、彼がちょうど河沿いで一番賑やかなダシャシュワメードガートという沐浴場付近を歩いていると、サードゥー(ヒンドゥー教の修行僧)の一団が円陣を組んで腰掛けている様子が見えた。どうやら、チラムと言われる吸引器を使って大麻を一人一人順々に吸っているようである。ヒッピー時代の多くの外国人旅行者がそうであるように、アドルフもまた大麻が3度の飯よりも好きであった。生来フレンドリーな彼は、あまり深いことは考えずにサードゥー達の仲間に加えてもらうことにした。しばらくすると、順々に回されてきた吸引器が彼の手元にもやってきた。その時、彼は、ふとおかしなことに気がついた。サードゥー達の円陣の中央に、リンガム(シバ神の男根の形をした神像)が上下を引っ繰り返された状態で置かれているではないか。ヒンドゥー教徒から神聖視されているはずのリンガムがこのような状態で置かれているなんて普通では考えられないことであった。彼は、おかしいなと思いながらも手元の吸引器から大麻を吸い始めた。すると突然、目の前に黒いカーテンが下りてきて視界が真っ暗になってしまった。まるで劇場で幕が下りた時の状態だったそうだ。真っ暗になった視界であったが、しばらくすると再び幕が上がるように視界が広がった。あれ、変だなと思いながら改めて周りを見回すと、やはりさっきと同じように彼はサードゥー達の円陣の中に座っていた。手元にも吸引器がある。しかし明らかに先程とは何かが違う。さっきまで河沿いにいたはずなのに、今彼が座っているのはどこかの暗い建物の中のようだ。思わず彼は、横に座っているサードゥーに、ここはどこだと尋ねた。しかし、その修行僧から返ってきた言葉は彼が当初予想もしなかったものであった。

「ボンベイ(現ムンバイ)」

びっくりして立ち上がり、走って建物の外に出ると、そこは今まで彼が見たこともないような街中であった。さらに自分の着ている服を見ると、あちこちが破れて汚れきっていた。その時、初めて彼は、サードゥー達にしてやられたと思ったそうだ。


谷本さんの話が終わると、僕達のいる大部屋はほんの数秒間、まるで時が静止したかのような静寂に包まれた。時刻は6時過ぎであった。薄暗い大部屋の入り口付近には夕方の強い日差しが差し込んでおり、時折、遠くから車のクラクションや人の話し声のようなものがかすかに聞こえた。そして、その瞬間の僕達には、その入り口だけがこの沈黙に押し包まれた部屋と喧騒と混沌に支配された外界とを繋ぐたったひとつの存在のように感じられた。

突然、その沈黙を破るかのように先ほどの荻田君が、谷本さんにこのような質問をした。

「結局、彼はサードゥー達に催眠術をかけられていたのでしょうか?」

彼は、一瞬考えているような表情を見せてからこう答えた。

「サードゥー達の中には、催眠術を使える者もいるようだ。俺の知り合いの夫婦で、南インドを旅行していた時に、サードゥーに催眠術をかけられてお金を盗まれそうになったのがいた。R君が言っていたが、おそらくあのドイツ人は催眠術で意識を奪われたうえで半年間奴らにこき使われていたのだろう。解放されたのは、もう邪魔になったからじゃないのかな。」

それに対して、萩田君は、再び彼らしい素朴な問いを投げかけた。

「でも、ヒンドゥー教の教えの中でも徳を積むことは良いこととされているのではないのですか。悪行を重ねるのは修行僧としてはあるまじき行為ではないのでしょうか?」

すると、谷本さんは、まるで遠くの方を見つめるような視線で僕達の方を見た。そして、実はこの話には続きがあるのだと言った。

失踪事件が解決したしばらく後、長屋に住んでいるR君夫妻のもとをR君のタブラの師匠が訪れた。そして、今日はある場所に連れて行くからそこで稽古をしなさいと言い、夫妻を伴ってガート近くの迷路のように入り組んだ小路を歩き出した。しばらくして3人が着いた場所は、夫妻がいままで見たことも無いような小さなヒンドゥー寺院であった。師匠に命じられるがままに、寺の敷地内でR君がタブラを演奏し、それにあわせて奥さんが舞踏を始めた。タブラを演奏し始めたR君であったが、すぐにこの寺の異様な雰囲気に気がついた。寺の敷地内では、恰幅の良い1人の商人風の男がござを敷いて横になっていた。どうやら寺の管理に関係した人物のようである。寺には次から次へと参拝者達が訪れていた。しかし、訪れているのは普通の人たちではなく、乞食や、身体に障害のある物乞い、そして娼婦風の女性達などであった。要するに、インドの闇社会で生きる人達ばかりがこの寺で参拝を行っていた。
その数日後、当時バラナシ・ヒンドゥー大学(BHU)でインド哲学を研究していたKさんという日本人がアッシーガートにあるR君の部屋を訪れた。ちょうどその時、谷本さんもそこに居合わせたらしい。世間話のつもりでR君が、ドイツ人失踪事件の顛末や、先日訪れた寺院のことなどを2人に語り始めた。話が一通り終ると、今まで黙って聞いていたKさんが、思慮深い目で2人の方を見ながら、これはあくまでも推論に過ぎないと言う前置きをしてある事実を語り始めた。

「一般的にヒンドゥー教徒は、善行を積むことにより、最終的に解脱することを人生の目的にしています。しかし、ヒンドゥー教徒のサードゥーには、様々な宗派があり、その中には悪行を積むことにより解脱をすることができると信じている派もかつて存在していたと聞いたことがあります。彼らは、殺人、盗み、または強姦などの悪行を続けることにより己を解脱させようとしていたそうです。ただし文献によると、そういう宗派はかなり前に滅んでしまったということにはなっていますが・・・。でも、今、R君の話を聞いて思ったのですが、もしかしたら、まだ彼らの派は密かに存続しているのかもしれませんね。アドルフを誘拐したサードゥー達は本来神聖視すべきリンガムを引っ繰り返していたそうですし、それにR君達が先日訪れたという寺院も状況からして彼ら一派に属する寺である可能性が高いかもしれません。まあ、あくまでもこれらは憶測の域を出ませんが・・・。」


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